坐右箴言(ざうしんげん)

2020年7月14日

中村天風の誦句(しょうく)の中に坐右箴言(ざうしんげん)という誦句があります。

特に歳を重ね、病院に行く機会が多くなるにつけ、この誦句のような生き方をしたいと常に思うようになりました。

蓮

————————————————————————-

「坐右箴言(ざうしんげん)」

私は最早(もはや)何事をも怖れまい。それはこの世界並びに人生には、

いつも完全ということの以外に、不完全というもののないよう

宇宙真理が出来て居るからである。

だから今日からは如何なる事があっても、又如何なる事に

対しても、かりにも消極的な否定的な言動を夢にも口にするまい

又行うまい。そしていつも積極的で肯定的の態度を崩さぬよう努力しよう。

たとえ身に病(やまい)があっても、心まで病ますまい。

たとえ運命に非(ひ)なるものがあっても、心まで悩ますまい。

否(いな)一切の苦しみをも なおたのしみとなす強さを心にもたせよう。

—————————————————————————–

また、私の好きな天風語録を2~3ご紹介します。

「人間というのは生きている以上は病があろうが、運命が悪かろうが、

幸運であろうが健康であろうが、生きている命には変わりはないのよ。

死なないかぎりは生きているという状況は変わりはないんだから。

ところが、わかったのか、わかっていないのかになると、なにかあるとき

とないときと、全然違っちゃう。心が。」

(志るべ540号 – P14)

「私は始めから、死ぬときは死ぬよと思っているだけなんですから。

また死ぬときは死ぬよと思ってなかったらこれだけの長生きはできませんよ。

生きている現在はただありがたいと感謝しながら生きているだけなんだから。

いくつまで生きていようとも、なんとも思ってやしない。

こうやって今日を感謝して生きている限りは生きていられるんだっていう信念を持っているから。」

(志るべ540号 – P17)

「いかなる場合でも、常に積極的な心構えを保持して堂々と生きる」。

ここに天風哲学の最も重点が置かれていることを忘れてはいけない。

(天風瞑想録より P67)

 

「自分に降りかかる不運なり不健康というものは、自分が知ってか知らずかに

関わらず、原因はすべて自分にある。

病なり不運というものは、自分が犯した罪の結果、生じたものなのです。

(君に成功を贈る天風述 P81)