戦前の父の姿と二女和子
12月11日は父太積(たづみ、享年99)の月命日です
この時季になると、ふと父を思い出します。生前は何とも思わなかった父に 対して、私も60をこえて父のことをふと思いめぐらします。先日遺品を整理して いたら、父の若き日の写真がでてきました。 「へえ、こんなの初めて見た」 生前は父と戦争の話は1つもしませんでした。実家から刃を軍隊に持参し、軍刀と したことは聞いていましたが、この写真に写っている刃は、実家にあった刃かなと 思いにふけりました。写真の表と裏には、軍隊の正装(中尉)と書いてありました。 私は二男で戦後に生まれたので、父の軍隊の生活を知りません。又、戦争中に二女 (和子)が生まれましたが、出生届を役所に届けたようですが、何かの都合で届が受理 されていませんでした。、戦争中の台湾でのこと、さらに二女(和子)は生後1年 たらずで死んでしまいましたので、戸籍はそのまま放置されたままになり、今に至って います。その和子の写真がでてきました。日の目もあてられず、ずーっと世に知られず、 又まつられることなく数十年経過し、今、日の目があてられました。今ここに父と二女 和子の写真を掲載します。 父・太積(応召入隊後完全武装して36才の正月写す) 右:父・太積(中尉) 二女・和子(生後百二日目) とてもうれしさとなつかしさと、戦争ということの中でおきたドキュメントを一瞬 思い浮かべました。失礼かと存じますが、見てやってください。かわいいでしょう。 あどけない姿です。 二女和子は昭和17年に生まれましたが、戸籍には記載されていません。父は役所に 届けたと申しておりますが、昭和16年、17年台湾という日本の統治下にあって、何か の行き違いがあったのか戸籍にのらない和子のためにも、このような子供がいたという ことをここに掲載できればとふと思いましたので掲載いたしました。 失礼の段、お許し下さい。