松下幸之助 人生と仕事の心得
松下幸之助さんの下記の内容がとても感激しましたので、転記します。
『松下幸之助という生き方』(2015年7月29日、別冊宝島社刊) p56より
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昭和30年代後半、貿易自由化を迎えるにあたり、国際競争に勝つため、国内自動車メーカーは軒並み価格の見直しを始めた。
トヨタにカーラジオを納品していた東京の松下通信工業にも、その厳しい余波がやってきた。
「自動車の輸出をするためには、価格をうんとさげなければやっていけない。ひいては、そちらのラジオの値段を引いてくれ」というわけである。
その要求はかなり厳しい数字だった。 会議を繰り返す現場に、幸之助がやってきた。
「なんぼまけてくれ、とおっしゃってるんや」
「30%です」
「できるか」
「とてもできません」
「現在どのくらい儲けているんか」
「3%しか儲かっておりません。ここは値下げ幅を交渉しますか」
幸之助はそれを聞いて、ピシャリと言い切った。
「3%というのはどういうことや。そんな少ないことでは話にならへん」
そして、こう続けた。
「トヨタさんは正しい。仮に自分がトヨタの経営者であったら、やはりそうする。その要求は当然や。日本の産業をどうするのか。高い見地から考えれば当然やないか。3割引いても、1割儲かるよう、そっくり頭を入れかえるんや」
幸之助の思いはこうだった。企業の「適正利益」は10%。これはどうあっても確保しなくてはならない。
だが要求は30%の値下げだ。5%、6%の値下げなら人間、何とかやりくりしようとするが、ここまで大きければもう発想を転換するしかない。 発想を変えてできないことは少ない。松下が協力しなくてどうするんや。ここはやらないかんー―。
幹部たちは、血の出る思いで根本からラジオの設計を見直し、コストダウンの方策を練った。
半年後、幸之助が再び松下通信工業を訪れた。
「どや、あの件は」
幹部が晴れやかな表情で答えた。
「はい、値段を下げ、1割儲かるようになりました」
幸之助は満足した。そしてこう考えた。これは、トヨタさんが、30%引きという強い要求を持ってこられたからこそ、発想を転換することができた。先方に感謝せなあかん。 後に、幸之助はトヨタ自動車会長にこう伝えた。
「トヨタさんにも喜んでもらえ、おかげさまで、ウチも1割の利益が出るようになりました。いいこと気づかせてくれておおきに」
これを聞いた会長は、深い感銘を受けたという。
こうして松下は、その後年間150億円の「お得意様」をガッチリ確保したのである。
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昭和30年代後半にも適正利益は10%という概念がしっかり松下通信工業に根付いていたのにはびっくりしました。
さすが、幸之助さんですね。